皆と同じ普通が出来ない。それが悪い事ではない理由

こんにちは、さびねこです。

先日、中学時代からの友人と会ってきました。彼女は大学を卒業後、就職し結婚、そして今では二人のお子さんを持つお母さんです。久しぶりに会った彼女はしっかりとお母さんの顔をしていました。学生時代の印象が強かったので、大人らしい姿をしている彼女が眩しかったです。

私は高校卒業後、そのまま就職しました。うちは母子家庭でしたので、母に楽させてあげたいな、と思って大学へ進学はせず、働く事を決めました。仕事自体は大変でしたが、自分の力でお金を稼ぐ事が出来たのは嬉しかったです。だからそれからしばらくは、何も考えずに働いていました。

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五年以上経って、だんだんと周囲とは違うなと思い始める。

就職して五年ほどたったある日。その頃は仕事にも慣れて、後輩も入って来て、周囲を観察できる余裕が出てきました。そこで、ふっと「あれ? 自分は何か変だな?」と思うようになりました。

例えば化粧やお洒落、ブランドなど、好きな俳優などを同僚やパートさん達が話す中、自分はさほど興味がなかったんです。眉毛を整えたりするくらいで、化粧もさほどしていませんでした。化粧については特に何も触れられはしませんでしたが、好きな俳優を聞かれて、その時見ていたドラマの俳優さんを言うと「変わってるね」と言われたのです。

良く分からなくて、話しにもついていけず、だんだんとその人達とは離れて一人で休憩をしていました。元々、きっちり休憩が取れる仕事ではなかったので幸いでしたが。でもその「変わっているね」という言葉は、ずっと心の中に引っかかっていたんです。

怒られると泣いてしまう

私は怒られると受け止めきれず、涙が出てしまう性格です。本当に自分が悪ければ「ああ、悪かったんだな、気を付けよう」と思うのですが、それ以外の、納得や理解が出来ていない事に対して怒られると、涙が出て来てしまいます。

怒られるのが嫌、叱られるのが嫌、注意を受けるのが嫌――というのはワガママだとは思うでしょうが、とにかく駄目でした。一度それがあると、後々の仕事に手がつかないくらい、気分が落ち込んでしまいます。

泣くのは社会人失格だ、という事も言われたことがあります。だけど、涙は出てしまうんです。その頃から、自分は社会人としては変なのではないか、と思って、必死に「普通の社会人」になろうとしていました。

普通が何なのか分からない

普通になろうとしても、普通が何なのか分からない。私は結局「普通」っぽいものに擬態する事で生きていました。他人が言う「普通」をリサーチし、それぞれの人ごとに、その人の「普通」でいようとしていたのです。でも、こんなの長続きしません。ボロが出るより先に、私の方が限界になってしまいました。

私にとっての「普通」はこれなのに、どうしてこれが「普通」ではないと言われなければならないのか。心の中ではずっとそう叫んでいました。普通が何なのか分からないから、普通が出来ない。それがずっと息苦しくて、生き辛かったのです。

私と他人の普通は違う

でも良く聞いていると、人それぞれに普通が違う事に気が付きました。例えば、AさんとBさんという人がいると、Aさんの普通はBさんにとって普通ではない、という所がある事を知ったのです。

私は「普通」というものは共通していると思っていました。ですが、AさんとBさんの普通に食い違いが発生していたのです。ならば「普通」って決まってないんじゃないか……? そう思うようになりました。

私はどうして「普通」になりたかったのか

長い間「普通」になりたいと悩んでいたのですが、そもそも何故「普通」になりたかったのか。たぶん、それは、馬鹿にされたくなかったからだと思いました。最初にパートさんと同僚に言われた「変わっているね」を、私はきっと、馬鹿にされたと受け取ったのだと思います。

怒られる事、叱られる事、そういった事を嫌だと思う私ですから、馬鹿にされたと受け取ったならば、とても嫌だった。普通であれば何も言われない、だから普通になりたい。そう思って、出来もしない事をしていたのだと思います。

色々調べる中で、自分がADHDではないか、とも疑うようにもなりましたが、病院にはまだ行っていないので分かりません。ですが、そうであったとしても、普通になりたい理由が他人に馬鹿にされたくないなら――他人なんて取っ払って、自分が楽しく生きられるように自分らしく生きよう、と思うようになりました。

普通ではなく「私」になりたい

普通になりたい、と考えた理由は「他人」の言葉が根底にありました。そして私は他人の目を気にして、ずっと生きてきました。私の人生であるのに、他人がずっと足かせになっていたのです。

要は、私に自信がなくなっていたのです。

私がしたら良かったのは、普通になろうと擬態する事ではなくて、私に「大丈夫だよ」という自信をつける事でした。今はやりたい事をやって、出来る事をやって、少しずつ「私」という普通を組み立てている最中です。そうしていると、以前よりも息苦しさが減りました。まだまだ先は長いですが、自信を少しずつ組み立てて、ちゃんと「私」になれるようになりたいです。